3月に入って急に
空が思い出したかのように雨を降らせた。
雨で湿った土の匂いと共に沈丁花の香りが満ちる。
沈丁花が咲き乱れる中を立ち止まり、瞼を閉じて
香る匂いを楽しむと「この匂いが好きなんだ」と言っ
た人のことを想い出した。
遠くにいってしまった人をありのまま想い出す事は
もう叶わない。
ただそれがとても懐かしい。
薄情かもしれないが、最近は忙しさで彼の人を想
い出す暇がなかった。それが自分にとって良かった
のか悪かったのか判らないが、昔伴なった痛みは
消え、今はやっと穏やかなまま想いを馳せられるよ
うになったのだ。
「へ〜すごい香りだな」
声を聴いて閉じていた瞼を開く。
沈丁花は道すがらに咲いていたから人は多からず
通っている。だから自分に近付く足音にはあまり気に
せずその場に立っていた。目を瞑って外界を遮断して
いたのもあったが、誰に見られていようと不信がられ
ようと気にしていなかった。
声もただの独り言なら無視しているところだ。
だが
「これ何て言うの?」
自分の真横に立つ人間の方を見る。
その相手もまたこちらを見ている。
見慣れた顔に見慣れた笑顔。
「沈丁花よ」
簡素に答えるとふ〜んと肯き、咲く花とその名を頭に
容れこむが如く花を見た。
「なんで傘差してないのよ」
この人間を目にした時から思った事を口にすると
そいつは照れた顔で向き返る。
「いや〜まだ地球の環境に慣れてなくって」
「…呆れた」
慣れてないから降られるなど在りえる訳がない。
なにせ今日は朝から雨が降ると散々天気予報で流さ
れていたのだから。突如地球に降りて来たからと言っ
ても、今ではプラントにオーブの気象予報くらい流れて
いるはずなのだ。
それにオーブなら探せばどこにだって傘は売ってい
るのにそれすらしない。何を考えているのかさっぱり
解らない、しかも堂々と嘘を吐く男に呆れる他しようが
なかった。
「で、モノは相談なんですが…」
「何よ」
「あなた様の傘に一緒に入れて貰えませんかね?」
肩も濡れて、髪だって濡れて前髪が額に落ちるくらい
になってしまっているのに今更、“雨に濡れたくない”
などとどの口が言うのかと、可笑しくて堪えきれず笑っ
てしまった。
一頻り笑い終え、きっぱりと言う。
「イ・ヤ」
出会った頃に言った言葉を再び言うと、「やっぱり?」
なんて言いながら嬉しそうに笑った。
相変わらずな男だ。仕方ないと溜息を零して雨の様
子を傘を持たない手で確かめる。
手に落ちるのは極偶に降る小さい雫。
「この程度ならもう傘差す必要ないわ」
雨の状況を確認し終わり、どうせなら付き合ってあげ
ようと差していた折り畳みの傘を閉じる。
なのにその男は如何にも不満だと顔で訴えていた。
「何よ?」
「折角相合傘するチャンスだったのに…」
いい歳した大の男がまるで子供のように唇を尖らせて
文句を言う。聞いたこっちがバカだったと後悔してしまう
くらいだ。
「あんたって本当にバカ」
「そ、ミリアリアばかですからね」
嫌がらせのつもりで発した言葉に再度嬉しそうな顔を
見せながらこの男はそう公言してのけた。
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(19『春』)2006/03/29・時間軸不明
『春よ、来い』/松任谷由美(イメージ曲)
って本来もう沈丁花の時期じゃないですが…
一応ギリギリセーフ、…ですか?<汗
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